鼻腔をくすぐるウナギの蒲焼
黒くてにょろにょろしたこの魚に、ナゼに日本人はこれほどに魅了され、執着するのか、わからんでもない。かくいうワタクシとてご多分に漏れず、物心ついて初めてウナギを口にした瞬間をありありと覚えているし、以後、年に一度の特別な日に家族でうな重など食ったその夜は、歯も磨かず、着替えもせず、布団にくるまり口中鼻腔と衣服に残ったウナギの余韻に浸った幸せがあった。
そしてその記憶の奥には、ウナギが焼ける匂いを嗅ぎながら今かと待つ店の表通りの、昔の夏のうだるような熱気と日差しがあったのだ。滋養にウナギがよいとの通念は平安の時代に既にあって夏痩せに効くと和歌にも詠(うた)われているし、江戸期には、屋台の焼き売りを労働者が疲労回復のために口にしていたとの記述もある。ウナギの旬は栄養と脂を体にため込む冬であるというのが、魚の生理的には正解かもしれぬが、否、食は味覚のみに非(あら)ず。冬に食うウナギはたしかに旨(うま)いが、肌にまとわりつく暑さが相まってこその滋養である。
その昔、平賀源内が「土用の丑」の札をかけさせ、夏のウナギを流行(はや)らせたといわれているが、そこは源内先生のこと。医食同源。気候と味覚と体の相性を見抜いていたからにちがいない。振り返り、昨今は一年中スーパーに蒲焼(かばやき)が並ぶようになった。多くはアメリカウナギを中国で養殖したものだが、市場によってはニホンウナギの中国養殖も国産より安い。ウナギも身近になりましたと、はたして言ってよいのかどうか。
チンして温めたウナギがダメだとは言わないが、通年何回も食えるウナギと、年に1回、満を持してのめり込むように味わうウナギと、どちらが人生の記憶に残るのだろう。フィリピン沖の深い海溝で生まれた小さな命がはるばる旅して日本に至り、人の手を経て今ここにある。絶滅危惧種であろうがなかろうが、頭を垂れて、謹んで深く味わうべき魚ではなかろうかと思う。
ウエカツ水産代表。昭和39年生まれ、島根県出雲市出身。長崎大水産学部卒。大学を休学して漁師に。平成3年、水産庁入庁。27年に退職。「魚の伝道師」として料理とトークを通じて魚食の復興に取り組む。