「兵庫県瀬戸内海のイカナゴ」(全国漁業協同組合連合会)
桜が散り、少し汗ばむ日が増える頃、海をわたる風の匂いが変わったなら、今年もイカナゴの季節。2隻の船が1つの網を広げながらゆっくり走って群れを追う。海はギラギラ光り、瀬戸内の春が徐々に深まってゆく。こういうさまを風物というのだろう。
イカナゴは、ツンと鋭った口先に全身透きとおるような黄土色。サンマの孫のような細い小魚で20センチほどに育つ。奇態なことに、この魚はきれいな砂の中で産卵する。そして親になると、夏は砂の中に潜って眠るので邪魔してはいけないこととなっている。
瀬戸内の漁はその年に生まれた「新子」から。初漁は2センチばかりだが、漁期が進むにつれて成長し、5センチを超える夏の手前で終漁を迎える。このとき同時に獲(と)れる15センチ超えの親をフルセもしくはカマスゴと呼ぶ。短い間の変化を楽しみ愛(め)でる、まさに季節を謳歌(おうか)する味だ。イワシの子であるシラスと同様に、茹(ゆ)でた釜揚げを酢醤油(じょうゆ)で味わうもよし、吸い物に仕立てるのもよい。
大きいフルセは焼いても揚げても芯の太い味がする。が、なんといっても「釘煮(くぎに)」だろう。仕上がった姿が錆(さ)びて折れ曲がった釘に似ているのでその名がある、いわゆる佃煮(つくだに)だ。といってしまえばそれまでであるが、かつては職人の作を店頭で買うものだったが、いまや家々の味があり、都会に行った縁者に送るのが習慣となったのは30年前。小さいイカナゴほど姿を崩さず煮詰めるのが難しい。醤油、酒、黄ザラメ糖、ショウガの4品目はこの時期のスーパーで欠かせない。
それほどまでに暮らしに溶け込んでいるイカナゴだが、近年、保護しているにもかかわらず漁獲は減り続けている。
令和3年の春、海の栄養は過去最低を記録した。栄養を吸ったプランクトンをイカナゴが食い、新子が湧くとほとんどすべての魚がこれを食う。豊かさの土台を支える大切な魚は、消えようとしているのであろうか。人間の文明の行方がこのけなげな魚と重なってみえる。
ウエカツ水産代表。昭和39年生まれ、島根県出雲市出身。長崎大水産学部卒。大学を休学して漁師に。平成3年、水産庁入庁。27年に退職。「魚の伝道師」として料理とトークを通じて魚食の復興に取り組む。