大阪府の「茅渟の海のクロダイ」(全国漁業協同組合連合会)
三寒四温、今年もようやく桜の便りが聞こえ、春の海に咲くといえば、タイの仲間。タイといえば赤と思いきや、どっこい黒いタイもいる。クロダイを筆頭にキビレ、キチヌなど。なかでも、クロダイは西日本ではチヌと呼ばれ、その大胆な行動と裏腹に神経質。黒というより燻(いぶ)し銀の鱗(うろこ)をまとった武者のごとき勇ましい風貌。この多面性に釣り人はあらゆる工夫を凝らし釣り上げんと狂喜する。
浅い海で専ら育ち雑食で、真水にも強く川にさえ入って餌を食う。つまり人間の暮らしに近い領域に棲んでいるため、かつて排水浄化設備がない時代の名残か、今でも食べないとする地域もある。チヌという呼称自体、大阪湾奥の潮の通らぬ「茅渟(ちぬ)」の海から来ているわけだ。わからぬでもない。
それにしてもチヌは旨い。産卵が春の後半なので秋から冬、早春にかけてよく肥える。堤防や橋脚周りをのぞき込むと、池のコイの如く悠々と餌を探して泳ぐのが見えることもあり、おお、今年も肥えてきたなと眺めるのもこの季節の楽しみ。
では他のタイと何がちがうのか。ひとことで言うと、なめらかなのである。時期を迎えたチヌの味は、口中に吸いつくようなまろやかさを伴い喉に落ちていく。これはひとえにこの魚の皮や骨に含まれる脂とコラーゲン質の豊かさに他ならない。加えて海苔に近い磯の香りもよい。
なれば刺し身なら皮に塩を打ち焼いて冷やした「焼き切り」がいいし、天ぷらも皮つきで。バター焼きではなく焼き立てにバターを塗るほうが皮の香が活きる。潮汁ならダシが存分に出るよう、じっくり火を入れるのがコツとなる。中でも丸ごと米と炊いた「ちぬめし」こそは、この魚の真骨頂といえよう。炊きあがるまで30分、エキスを吸った米はムチムチしている。値のいい魚は売っちゃって、生け簀に泳がしておいたチヌで飯炊いて、マダイより旨えと漁師が自慢する春のひとコマ、船の上。
ウエカツ水産代表。昭和39年生まれ、島根県出雲市出身。長崎大水産学部卒。大学を休学して漁師に。平成3年、水産庁入庁。27年に退職。「魚の伝道師」として料理とトークを通じて魚食の復興に取り組む。