魚の国 宝の国 SAKANA & JAPAN PROJECT

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ウエカツ流サカナ道一直線

2022年6月17日
Column #066

盛衰の波間で生きるイカの町の輝き

佐賀県の「呼子のイカ」(全国漁業協同組合連合会)

福岡から車で海岸沿いを西へ小一時間。佐賀県に入り、ご城下で知られる唐津を過ぎると、半島の先端にクサビを打ったかのように入り組む小さな湾にたどり着く。湾の口は大小いくつかの島々で遮られ、いわゆる〝天然の良港〟という地勢。かつては捕鯨の基地があり、巻き網船団の避航地でもあった呼子(よぶこ)は、実に繁華な賑わいであったという。

昔の光、今いずこ。今は静かな漁師町。呼子といえば、知る人ぞ知るイカの町。活きたイカの姿造りが評判になった50年前頃から、皿上でうねり明滅するイカを眺め賞味する非日常を求めて観光客が後をたたない。ここでいうイカは和名をケンサキイカといい、地元ではヤリイカと呼ぶ。沿岸に産ずる高級イカのひとつであって、まして活イカ料理が普及してからは、地域に欠かせぬ大切なイカとして愛されてきた。

夕暮れに出港し、島周りに船を流しつつ漁火を灯す光景は、まさに玄海のまほろば。福浦親子が舵をとる「祐福丸」は波間の幻想の一部と化す。しかし、船上は忙しい。イカ針がついた仕掛けを1人が4本も同時に操り、イカが掛かれば抜き揚げ、手を触れずに生け簀に入れる。これを明け方まで続けるのだ。活きイカは生き生きしていなくてはならない。手を触れれば人の体温で火傷をする。生け簀の壁にはイカが擦れないように漆を塗っている。そうして一晩釣って港に帰ったならば、これまたイカが快適なように特設された陸上の水槽に船から走って移して仕事を終える。万事がイカ愛に満ちているのだ。

あとは家に戻って晩酌だ。おまけで釣れた小さいスルメイカを丸茹でにし、傷ついたケンサキイカを刺し身と天ぷらにして酌む酒の喜びは、イカ漁に生きる当人でなくてはわかるまい。若くして漁師家業を継いだ福浦健二君は穏やかに漁師は自分の天職だと語った。人も変わり海も変わる。しかし、時代の波がどう押し寄せようとも、このような人々がいるかぎり、この町の天の恩恵と華やぎは消えることはないであろう。

上田 勝彦氏
うえだ・かつひこ

ウエカツ水産代表。昭和39年生まれ、島根県出雲市出身。長崎大水産学部卒。大学を休学して漁師に。平成3年、水産庁入庁。27年に退職。「魚の伝道師」として料理とトークを通じて魚食の復興に取り組む。

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