香ばしく焼き上げられるウナギ
薄暗い土間の水桶(みずおけ)の中でニョロリとくねるニクイ奴(やつ)。つかもうとしてもヌルヌル逃れてつかませず、夏の盛りが近づくにつれて思い出す。じっと眺めいるウナギ屋の店先で、電光石火に捌(さば)かれ串打たれ焼かれていく職人技もさることながら、焼き始めたとたんに漂う、いてもたってもいられないような、そのかぐわしくもどかしい香り。
その昔、隣家のウナギ焼く匂いで白飯食ったと落語に伝えられるほど、日本人はこの匂いに弱い。それは決して、江戸の平賀源内が夏のウナギの販売促進のために「土用の丑」と店頭に張らせたことに始まる、脳への刷り込みだけではないはずだ。
醬油(しょうゆ)の香ばしい匂いだけであれば、参道の串団子もあろうし、縁日のイカ焼き、磯のつぼ焼きも負けてはいまい。しかしウナギはいささかハッキリ趣(おもむき)がちがう。身に絡ませた醬油が自らの脂と混じり合い、したたり、炭火に落ち、その煙でわが身が燻(いぶ)され焼かれていく、その循環の全てが、一切れの蒲(かば)焼きに宿るのだ。
というわけで、私事ながら強烈なまでにウナギが好きである。夏休みに帰郷した先のウナギ屋で黒塗りの重に艶やかに輝き横たわる蒲焼きの姿は、今もなお幼少の記憶に焼き付いて離れない。その晩だけは、ウナギ屋に出かけた服を着たままに、歯も磨かずに寝床に入る。数時間を経てなお、衣服にはウナギの焼かれる香りがこもり、口中には夢中になって味わい尽くしたウナギ味の余韻がいつまでも消えない。そして子供は夏の一夜にウナギの夢を見る。
そのウナギがレトルトになったのは遡(さかのぼ)ること40年前。その後、スーパーに中国産の蒲焼きが並ぶまでに、そう時間はかからなかった。国産はもとより高かった。それらを初めて口にしたとき、夢は崩れ散った。香ばしさも味の深みもない。物理的なウナギは存在しても、ウナギらしさは味わえない。
ウナギが絶滅危惧種だと識者は騒いでいるけれど、どっこいウナギの生命力は尋常でなく、いまだにうようよ棲(す)んでいる川はたくさんある。むしろ、ウナギが絶滅するような環境に、脆弱(ぜいじゃく)な人間共の生きる場所はないであろうことこそ、気にすべきである。増えたらおおいに味わう。減ったら大切に味わう。日本人とウナギとのつきあいは、原点に戻る時に来ているのだ。
ウエカツ水産代表。昭和39年生まれ、島根県出雲市出身。長崎大水産学部卒。大学を休学して漁師に。平成3年、水産庁入庁。27年に退職。「魚の伝道師」として料理とトークを通じて魚食の復興に取り組む。