「香魚」とも書くアユ
蝉(せみ)がしぐれる里の夏、水音が響きわたる清流で、両手のひらにのるくらいのアユを捕まえた。水に半分浸した手の中で、パクパクとあえぐアユは美しい。この魚は“年魚(ねんぎょ)”ともいう。海で育った稚魚は春に川を上って親となり、秋の産卵とともに一生を終え、その“亡骸(なきがら)”は川の栄養に変わる。そして孵化(ふか)した子供たちは海へと流れ下り、時節が来れば再び川を上るのだ。
決して大きな魚ではなく、20センチもあれば立派なものだが、力強く大きなヒレを張り、背は艶やかなオリーブ色。エラぶたには光る黄色の斑紋(はんもん)が映え、ひと夏の生を一身に集めて輝く姿にはほれぼれする。しかも、川魚の中では突出して旨(うま)い。
漢字を当てて「香魚」とも書く。海から川に入る稚魚は虫などを食う動物食だが、長じて清流に至れば食性を変じ、石に付着する「石垢(いしあか)」と呼ぶ珪藻(けいそう)を細かい櫛(くし)状の歯で削って食う。垢付きのよい石をめぐって縄張り争いをするので、釣り人は掛け針を背負わせて糸につないだ“おとり”を泳がせて、体当たりしてくるアユを獲る。小刀のように水中で閃(ひらめ)き、せめぎ合う姿は心ときめく川の化身。獲り、触り、食ってみたい気持ちは必然であろう。
止水で育った養殖物もずいぶん出回っているが、自然の川の野性児とは姿も味も香りも格段に違う。夏の清流に立つとスイカのような甘い青い香りがするだろう。それが石垢の香り。すなわちその川の垢を食うアユの香りだ。締まった白身、焼けば香ばしい皮目(かわめ)もうれしいが、触れるだけで手に残るほどの清らかなる香りこそが、季節を切実に語るアユの香魚たるゆえんなのである。アユの味は川の味だ。
うねり串を打ち、頭と各ヒレに多めの化粧塩をほどこし、炭にかざして姿良く焼き上げたのに、かぶりつく醍醐(だいご)味。冷たいビールを所望いたす。一年中いつだって目を閉じて夏のせせらぎを思えば、アユの泳ぐ姿と塩焼きの香りが鼻をかすめ、もどかしい。年に一度の魚だもの、年に一度は口にしたい。
ウエカツ水産代表。昭和39年生まれ、島根県出雲市出身。長崎大水産学部卒。大学を休学して漁師に。平成3年、水産庁入庁。27年に退職。「魚の伝道師」として料理とトークを通じて魚食の復興に取り組む。