石川・能登の岩海苔は感無量の味わい
「岩海苔(のり)」とは何ぞや。日本海の冬、外洋に面した岩肌に生える海苔をこう呼ぶ。われわれが口にするいわゆる海苔は、人間の努力で養殖されたスサビノリないし、アサクサノリという種類なのであるが、岩海苔は養殖はしていない。というより、できないのではないか。
風雪厳しく冬の荒波が打ちつけ、冷たい潮に洗われる岩場の縁にだけ、岩海苔は生える。厳寒期の日本海はすさまじく、夏場の鏡のようなたたずまいからは想像できぬほど豹変(ひょうへん)し、波しぶき激しく雪に閉ざされた空は灰、海は緑を帯びて鉛色の日々が続く。出漁をこらえてウエットスーツなど繕いこもる中、ある日、突然時間が止まったように訪れる凪(なぎ)の静けさ。海女たちは、これを待っている。
石川県輪島市、九州北部から海の獲物を求めて北上し能登に定住した一族が暮らす「海士(あま)町」がある。早瀬千春さんは海女の系譜。いざゆかん、仲間数人と船に乗り込み沖を目指す。舳倉(へぐら)島、七ツ島、散在する島々の人跡未踏の磯の脇に船を停め、海に飛び込み岩にとりつき、よじ登り、這(は)い、へばり付いた岩海苔を素手で摘む。波に打たれてフジツボが尻に刺さろうが、ひたすら摘んで、泳いで船に戻る。
港に戻ればすぐに海苔仕事が始まる。丁寧に洗い、その日その場所で採れた海苔の質を見極め、最も適した刻み具合、すき具合で、おいしくなあれと念じながら仕上げていく。そうしてできあがる1枚30センチ四方の板海苔は、全面がツヤツヤ輝きを放ち、分厚く、その存在感はまことに力強い芸術だ。こういう海苔を「あぶら気がある」と海女は胸を張る。
1枚を4枚の短冊に切り、ガスでいいから強火の遠火で炙(あぶ)り、香りが立ったのをさらに4枚に割って、まずはそのまま。次に醬油(しょうゆ)を一滴たらして口に含む。と、海苔が息を吹き返すのだ。ザクザクと小気味よい歯触りが進むにつれ湧き出す甘みと磯の香と相まって、海女たちの生きざまが重なり、落涙感無量の味がする。それはニッポンの里海の意味そのものなのだ。
ウエカツ水産代表。昭和39年生まれ、島根県出雲市出身。長崎大水産学部卒。大学を休学して漁師に。平成3年、水産庁入庁。27年に退職。「魚の伝道師」として料理とトークを通じて魚食の復興に取り組む。