魚の国 宝の国 SAKANA & JAPAN PROJECT

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ウエカツ流サカナ道一直線

2023年1月20日
Column #073

変わりゆく海と魚についてこれるかな?人間諸君

獲れる魚が獲れなくなり、獲れなかった魚が獲れるようになっている

前回、唐突に「未利用魚」やら「低利用魚」といった言葉を持ち出し、それは勝手に決めつけてはいけないという小さな警鐘を鳴らした。わたしたちが経験した2回にわたる世界大戦は社会的には損失だったにせよ、魚の資源という意味では、むしろこのおかげでこれまで食いつなげてきたともいえる。戦中、男たちは国に取られ、魚を獲(と)りに行く者が国内ばかりか世界的にもいなくなり、魚たちは平和な繁栄を謳歌(おうか)した。そして戦後、徴用された船は戦ではなく漁へ、食糧難を乗り切るべく沖へと向かい、結果として、そこには温存された海の天国が待っていたのである。

魚は沸き、人も経済も沸いた。魚が安くても、たくさん獲れば金になるというような感性はこのとき生まれた。そして時代は国際化が進み、バブル経済も訪れる中、より高価なものを狙うようになり、ほかを捨てた。豊饒(ほうじょう)の海に頼り切った戦後の歴史は、食べられるものは全て大切に活用してきた文化をいつの間にか追いやってしまい、金になるものだけ獲るという偏ったあり方に漁業は変容してしまったのである。

これは、漁師だけの問題ではない。それを求めたわれわれ消費者がいたからこそ、そうなっていったわけだ。世はSDGsなどと輸入ものの環境思想を流行(はや)らせているが、そもそも古来の日本の魚と人間の付き合い方こそ、自然発生的な生き方の原点であった。それは、命あるものを奪った以上、すべからく活(い)かすという精神である。

20数年前から予兆のあった海と魚の変化は、この5年ほどで加速し、獲れるはずのものが獲れなくなり、獲れないはずのものが獲れたことを〝異常〟としてメディアは騒ぐが、人間と自然界がやったことなのだから諦めるしかない。地球が変われば季節の恵みも変わる。選り好みせず満遍なく獲れるものを獲り、売り、食べる。変わりゆく海と魚に寄り添えるかどうかが問われているのだろう。

上田 勝彦氏
うえだ・かつひこ

ウエカツ水産代表。昭和39年生まれ、島根県出雲市出身。長崎大水産学部卒。大学を休学して漁師に。平成3年、水産庁入庁。27年に退職。「魚の伝道師」として料理とトークを通じて魚食の復興に取り組む。

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