おせち料理は年に1度しか学ぶ機会がない
昨年はコロナ禍に見舞われ、さまざまな人生初の経験をしました。特に約2カ月にわたる営業自粛は、私の生業である料理に向き合う姿勢や料理屋の存在意義を改めて考える稀有(けう)な機会となりました。それまでは、おいしい料理を作っていれば、必ずお客さまは来てくれるものと信じて毎日、包丁を持っておりましたが、その大前提が根本から覆されたのです。
料理屋は、お客さまに料理だけでなく、伝統工芸を含めた空間や伝統芸能を楽しんでもらうための舞台装置だと思っています。加えて、若い料理人たちが基本的な料理技術や伝統的な料理を学ぶ場でもあります。しかし、いずれもお客さまに来ていただくことが大前提でしたので、技術のみならず、将来的には伝統工芸や芸能の伝承にも影響が及ぶかもしれません。
銭屋では伝統的な料理だけではなく、日々新しい料理を考えてご用意することも多いのですが、おせち料理だけは先代の頃から変わらぬ献立で作り続けております。当たり前ですが、おせち料理はお正月の料理ですから、1年に1度しか仕込みません。ということは、学ぶ機会も年に1度。10年修業しても10回しかできない仕事なのです。
例えば、金沢近郊の川魚漁師たちが獲(と)った寒鮒(かんぶな)を頭も鱗(うろこ)もつけたまま3日間かけてじっくりと焚(た)き上げる一品は、金沢の正月料理の定番です。しかし、金沢に生まれ育った私ですら、食するのはお正月だけでした。それゆえ、おせち料理は食べ手としては楽しみではありますが、作り手としては、学ぶことも仕込むことも容易ではない料理なのです。
経営効率を第一に考えて、この機会を無くした方がよいのではと問われたとしたら、私はもちろん「否。絶対に無くすべきではない」と答えます。一度失われた技術はいくらレシピやマニュアルがあったとしても、そう簡単に再興できるものではないのです。
金沢の「日本料理 銭屋」の2代目主人。「ミシュランガイド富山・石川(金沢)2016特別版」で2つ星を獲得。